不便の中にあるゆったりした時間

今日は私の母校、日本アーユルヴェーダスクールの、月1回の研究会でした。今回は遠足で、東京都小平市にある「薬用植物園」へ。

いつもはSuicaでピッと改札をくぐり抜け、スマホの乗り換え案内に従って最短ルートで目的地に行くけれど、今回はなるべくスマホに頼らず移動したいと思い、昨日のうちに電車の乗り換え手順を確認しておきました。

Suicaは使わず、往復代金1,300円を握りしめて、いざ出発。

朝の通勤ラッシュ、人の邪魔にならないように立ち位置に注意しつつ値段を確認して間違えないように切符を購入したり、人の流れに乗りながら切符が使える改札を遠目に確認したり、細心の注意を払います。

乗り換えで切符を買うたびに、「これ本当に1,300円で足りるのかな?間違えたらお金足りなくなるかも」とかビクビクしたりして、Suicaを使わないだけで電車移動がスリリングになりとっても楽しい。

「なくしたらどうしよう」という緊張感。移動中ずっと握りしめてた。

帰りに渋谷で池尻大橋駅までの切符を買ったら残金が0円になって、「ちゃんとお金足りた、ぴったりだった!」とものすごい達成感。

いつもスマホ片手にたくさんの情報に囲まれてすっかり便利に慣れて生活しているけれど、たまにそれらを手放すとけっこう不便で、でもその不便が心地いいです。

情報を得るために動き回って探して、路線図をじっと眺めて確認したり、いつもよりは時間がかかるのに、なんだか時がゆっくり流れているように感じます。スマホで「次は3番ホームに電車が来るから乗らなくちゃ!」とかやっていると、所要時間は少ないのにセカセカと感じる不思議。

効率、便利、時短、それらを追い求めても、さらに忙しくなるだけのように感じます。不便の中にこそ、ゆとりがあるような気がしています。

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