子どもの中のファンタジー

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1年ぶりくらいに、友人の子どもに会いました。

大人になると1年なんてあっという間に過ぎていくけれど、子どもの成長ぶりを目の当たりにすると、その長さを思い知らされます。成長が、目に見えてわかりました。

久しぶりに会う他所の子どもはとにかくかわいい。

待ち合わせ場所の紅葉。久しぶりすぎて、私のこと覚えててくれてるかドキドキ。

よろこぶ顔が見たくて、ちょっとのわがままならなんでも聞いてあげたくなる感じ。「孫は責任がないからただただかわいい」という、世の中のおじいちゃんおばあちゃんの気持ちがわかるような気がしました。

自分の子どもには、こういう種類のかわいがり方はなかなかできません。

誘われるままに、懐かしの「ニューブロック」で一緒に遊びました。

子どもの内にあるファンタジーが大好きです。

ブロックが機織りになったり、乗り物になったり、お金になったり、食べ物になったり。想像の世界がどこまでも広がって、飽きることなく遊び続ける子どもの内面の豊かさに、感心させられます。

こういう遊びは、こちらも子どもの頃の気持ちにならないと、なかなか付き合うのが難しいです。

「早くこの遊び終わらないかなー」とか「同じことばかりで飽きてきたなー」とか、「そろそろごはん支度したいなー」とか、少しでも気持ちがずれてしまうとそれが伝わって、遊びのテンションがみるみる下がります。

子どもと接するときはできるだけ、自分の中の「子供性」を意識しています。一緒に夢中になって遊ぶと、大人の世界ではなかなか見つからない、純粋であたたかい気持ちに出会えるところが大好きです。

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