「抱き癖」は心配しなくていい

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昨日、今日と訪問に出ました。

昨日は10月とは思えない暑さだったけれど、今日はぐっと気温が下がり快適。足元を見たり、空を見たり、庭先のお花を見たり、テクテク歩いていると退屈しません。

訪問に行くと、「抱き癖」についての質問をよく受けます。

私は、「抱き癖」って、おかしな言葉だなと、いつも思っています。
赤ちゃんは訴えたいことがあって泣いているわけで、別に「変な癖」がついて泣いているわけではないのです。

いつもの道。今日は新しい花が落ちていた。

赤ちゃんはまだ、自分の体すら思い通りに動かすことができません。自分で自分のお世話をできないし、気持ちを言葉で言い表せないぶん、とにかく頻繁に泣いて訴えます。

お腹が空いた、飲みすぎて苦しい、眠いのに寝付けない、暑い、寒い、なんだかわからなけど寂しい、などなど、泣いて訴えるしか手段がありません。自分で解決できないなんて、すごく不自由だし、もどかしい思いがあるのだと思います。

そんな必死の訴えを、「抱き癖がつかないように」と無視され続けたら、つらいです。

大人でも、嬉しいことがあったり、悲しいことがあったり、すごく腹立たしいことがあった時とか、誰かに聞いて欲しくなります。

夫に一生懸命話しかけているのにうわの空で適当な相槌をされたり、まったく無視されたら、すごく悲しいと思います。それでも最初はこりずに話しかけますが、毎回反応が悪いと、悲しすぎて、もう話しかけたくなくなります。話しかけなければ、無視されることもありません。

いつしか会話は無くなって、夫からみれば、「前は仕事で疲れてる時に話しかけられて大変だったけど、最近は静かにしてくれていてラッキー」と思っているかもしれません。

でもそれって、本当にラッキーでしょうか。「もうこの人に話しかけても無駄だ。どうせちゃんと聞いてもらえないんだから。」と、コミュニケーションを諦めているだけです。

それと同じで、泣いてる赤ちゃんを毎回放っておくといつかはあまり泣かなくなりますが、いい状態とはいえません。

「泣かない」=「自立できている立派な赤ちゃん」ではないのです。

「泣く→対応してくれる→安心する」、この繰り返しが心の根っこを作ります。大人も子どもも、気持ちをしっかりと受け止めて、共感してもらえることで、生きるエネルギーが湧いてきます。

しっかり訴えを受け止めてもらった子どもは、その「満足感」をベースに、然るべき時に自立していきます。

逆に「どうせ自分なんて、何をいっても聞いてもらえないんだ」と思ってしまったら、周りに興味を持ち、自分の力を信じて突き進んでいく意欲が、育ちにくくなってしまいます。

「子育て」は本当に偉大な仕事です。毎日毎日、その偉大な仕事に奮闘している親子を見ると、畏敬の念を覚えます。

心の中で「がんばれ」と応援することしかできない自分がもどかしいですが、授乳のケアなどを通して少しでもその偉大な仕事のお手伝いができたらと、いつも思っています。

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